大塩平八郎は、当時はもちろん、いまだに国民の人気が高い。ある意味でニッポン精神の典型であるからだ。大塩平八郎の乱 - Wikipedia: "大塩平八郎の乱(おおしおへいはちろうのらん)は、江戸時代の天保8年(1837年)に、大坂で大坂町奉行所の元与力大塩平八郎とその門人らが起こした江戸幕府に対する反乱である。大塩の乱とも言う。
前年の天保7年(1836年)までの天保の大飢饉により、各地で百姓一揆が多発していた。大坂でも米不足が起こり、大坂東町奉行の元与力であり陽明学者でもある大塩は、奉行所に対して民衆の救援を提言したが拒否され、仕方なく自らの蔵書数万冊を全て売却し、得た資金を持って救済に当たっていた。しかしこれをも奉行所は「売名行為」と看做していた。
このような情勢の下、利を求めて更に米の買い占めを図っていた豪商に対し、平八郎らの怒りも募り、豪商らに対して天誅を加えるべしと自らの門下生と近郷の農民に檄文を回し、決起の檄文で参加を呼びかけた。
2月19日(西暦換算で同年3月25日)の朝、自らの屋敷に火をかけ決起した。現在の大阪市北区天満橋の大塩邸から難波橋を渡り、北船場で鴻池屋などの豪商を襲い、「救民」の旗を掲げて船場の豪商家に大砲や火矢を放ったが、いたずらに火災(大塩焼け)が大きくなるばかりで、奉行所の兵に半日で鎮圧されてしまった。"
というのは:
- われこそは「正義の味方」だと信じていること。
- 「弱者」への同情と利益誘導こそが「正義」だとの思いこみ。
- 「理性」より「情緒」を大切にすること。
- 政治は「ばらまき」であるという思考方法。
- 勝算が全くないにもかかわらず、戦略を全く無視して感情だけで「清水の舞台から飛び降りる覚悟で」決起するという行動。
- そういう人間が、当時の人たちから(いまの人たちからも)エライ人だと思われること。
- 最後は潔く「サクラチル」となったことでいよいよカッコイイとみなされたこと。成功しないことこそ美しいという「敗者の美学」がニッポンに広がった。今の自民党政治家も「敗者の美学」に酔っぱらっているんじゃないか。
勝てない喧嘩はするべきでない。成功しない革命は単なる暴動。
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